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直弼公と「武道」 ―平穏なる守りー その1 

本稿は、著者である埋木舎当主・大久保治男氏の許諾を得て、滋賀県人会報99号に掲載された記事を基に構成されたものです。



 埋木舎時代の井伊直弼公は、茶の湯、和歌、謡曲は達人の域の文化人でありその基盤には禅の修行がありました。勿論、武家である直弼は「武」にも優れた文武両道の達人でありました。即ち、兵学、剣術、居合術、馬術、柔術、槍術、弓術等埋木舎では一日二時(4時間)眠るだけで足ると文武両道の修練に励んでいました。


 居合術は指南役・川西精八郎充信(みつのぶ)に付て技を練り、極意を得て自らも「新心新流」という一派を創設します。それは三段階に分け次第に蘊奥(うんのう)の域に達していきます。初の七段は業を学び、勇を養成する根本の鍛え、次の段は基礎的な業を応用し、実践的活法に入る、奥の「三秘伝」は心身一如、天下無敵の境地に至るとします。「三秘伝」とは「保剣」「破剣」「神剣」であり、「保剣」こそ最も直弼の中心的考えでありました。即ち「勝を保つことが大切で、刀は滅多に抜いてはいけない。永久に勝利者の地位を保つことが真の勝利である。忍耐第一でその場の怒りで敵を討ちもし負ければ家名を亡ぼす。子々孫々まで勝利者の地位を守れ」という「平穏維持の為の威嚇力的武力こそ大切である」という今日にも通じるすばらしい考え方でありましょう。また「勝をたもつを真之勝と云。人を討のみは勝とは云わない。堪忍堅固にして動かざる時は子々孫々に家名繫栄し武名も穢さず、至極の勝といえる」何と高邁な武士道でありましょう。


 また、山鹿流の兵学の師に送った「意見書」でも「武は決して血を喜ぶものに非ず、血を見ずして事の治まるを見る。聊(いささか)も武の要たり。又、世を済(すく)ふの要たらずんばあらざるなり」とも崇高な考えを述べています。(つづく)


前景に桜の花、後景に埋木舎前景と彦根城濠
埋木舎と桜

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