埋木舎

2020年10月3日2 分

「埋木舎」の狸②

「埋木舎」の狸①はこちら) 

 それから三十年近く経ている。月日の流れは速いものである。私の見た狸は死んでいようがその子孫の狸が埋木舎に居てくれればうれしい限りである。というのは、

 直弼公が埋木舎に居住されておられた時も狸を度々みられて喜んでおられた様である。その証拠には写真の狸の置物を曽祖父・大久保小膳が直弼公から拝領している。

 湖東焼風の色彩美しい狸と土色の簡素の狸の二個が我が家には今日迄大切に保存されている。父から生前伺った話しでは、直弼公は狸の置物を床の間にいくつも飾っておられて楽しんでおられ、その中か小膳が拝領したのであろうと。

直弼公より拝領した狸の置物1(大久保家蔵)

 「茶・歌・ポン」と埋木舎時代あだながあった直弼公は、「ポン」即ち鼓の音であり能の舞は勿論であるが、御自分でも謡曲を創作されている。伊勢物語から筑摩神社(彦根領内)の春祭り「鍋冠祭り」より創作された「筑摩江」は有名で能楽堂でも上演されているが、直弼公は狂言「鬼ヶ宿」も創作されており、そうして「狸の腹鼓」も創作されていることより、直弼公と狸は埋木舎時代のよき友?心の安らぎであられたのかも知れない。

 因みに、「狸の腹鼓」の初演は十二代直亮公でその後中断していたのが、十三代直弼公が大蔵流の茂山仟五郎と共に補筆、型付して嘉永5年、江戸・桜田藩邸にて初演されたと謂う。

直弼公より拝領した狸の置物2(大久保家蔵)

 ストーリーは、播磨の喜惣太が夜な夜な田畑を荒す狸を射殺していた。これに雌狸が殺生を止めさせようと喜惣太の伯母の尼に化け、殺生を戒めるよう説教をしていると、犬が吠え尼は元の狸になってしまう。喜惣太は釈迦も殺生を五戒の第一としている教えより、その雌狸を射殺すのは止め、雌狸は腹鼓を打って逃げ去るというもの。ユーモラスの中にも直弼公の狸を思うやさしい心が、埋木舎時代の狸との出会いを懐かしんでいるのかもしれない。(当主 大久保治男)

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