(本コラム記事は、サンライズ出版社『埋木舎で培われた井伊直弼の茶の湯』より、著者・大久保治男氏の承諾を得て、その一部を抜粋・記載するものです。)
【直弼茶道の真髄(その2)より続き】
『閑夜茶話』については、元年(1844年)頃に起筆されたが、藩主後も書き続けられており、底本は未底稿であることが知られている。
直弼茶道の真髄を現わすものに「茶湯三言四句茶則并着歌」という掛幅がある。弘化2年3月晦日、柳生舎・主人とあるので直弼三十一歳の時である。
茶非茶(茶は茶に非ず)
散りかかる池の木の葉をすくひ捨て 底のこころもいさぎよきかな
非々茶(茶に非るに非ず)
騒しき軒のあられもないとひそ しづかなる夜の友ならずやは
只茶耳(只茶のみ)
いずくにか踏みもとむらんそのままに 道にかなへるみちぞこのみち
是名茶(是を茶と名づく)
現れて見しはこそあれ峯の花 谷のつつじも隔てあらじを
正に禅問答のような直弼の主張であるが、何を云わんとしているかを私なりに解釈すれば、現在世俗でおこなわれているような茶道、高貴ぶった贅沢な茶室やお道具、茶席の客人の格等々は真の茶道とは云えない。また世間茶も茶ではない。素朴な自然体の茶、禅の「無」の世界のような心境での茶道こそが真の茶道ではないかと云うのである。「物」や「形」の茶道では無く「心」や「気」の茶道であるというのである。(つづく)
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